なんで僕がこんなところに立っているのか。こんな所であいさつする柄ではないのですが。国民の声がないのに議員の方ががんばっている時は、たいがい良いことは起らないんです。逆に国民の声が上がっているのに、政治家の方が答えないということは、とても悲しいことであり、それでは日本の政治は変わらないと思っています。

 昨年、安保法制に関して、SEALDs並びに本当に多くの方が声を上げました。それは政治家にがんばってほしいという声だけではなく、政治家に任せておけないということなんだと思います。しかし、安保法制が通った時に国会前にいましたが、その国会内の(参院本会議の)中継をそのままスピーカーで流していました。1人ひとり国会議員の点呼があって、採決された瞬間のことを今でも忘れません。うれしかったことが一つあります。その時に、「憲法違反」というコールが国会の外ではなく、国会の中から聞こえてきました。これに呼応するように、僕たちは声を上げました。

 政治家が本当にがんばってくれている、そういうことがうれしかったということは、僕の人生でなかったことのように思うんです。声を上げても、どうせ変わらないよという人がほとんどのなかで、自分たちが声を上げることによって政治家が応えてくれた。それがテレビの中継で流れていた。

 先ほど、国民の政治離れをどうにかしなければならないと、神津連合会長もおっしゃっていましたが、僕が国会の中央公聴会で話した時、僕の目の前で与党の議員の方は眠っていました。果たして、国民の政治離れなんでしょうか。それとも、政治の国民離れなんでしょうか。これも責任は俺たちにあるのでしょうか。それとも政治家の皆さんにあるんでしょうか。僕は、その責任を引き受けたいと思います。この国に生きるひとりの人間として、この国の責任を引き受けたいと思います。

 しかし、自己責任という言葉があります。僕はその言葉は、非常に嫌いです。つまり「保育園落ちたの私だ」という声をあげると、「そんなの自己責任じゃないか」という人がいます。だとしたら、何のために社会はあるのでしょうか。何のために、政治はあるんでしょうか。何のために、この国はあるのでしょうか。われわれ1人の暮らしのために政治はあるべきであって、「お前のせいだ」と言うために政治があるのではないはずだと思うんです。

 政治は開かれたものであってほしいと思います。きっと思うことは、たくさんあるのです。しかし、それが政治的な言葉になっていないだけで、「この国が今どこかおかしい」という声になっていない声に、もっともっと耳を傾けてほしいと思います。

 今、相対的貧困が6人に1人。保育園の待機児童が東京だけでも2万人以上いると言われている。そんな社会のなかで自己責任と言われても、僕は変だと単純に思います。女性の活躍と言っておきながら、男性との賃金差はなんでこんな大きいのか。なぜ今この目の前にいる人は、ほとんど男性なんでしょうか。おかしくないですか。男性と女性の賃金はイコールであっていいと思います。

 今年は18歳選挙権が実現するとあって、若者の投票率が話題になると思います。しかし、選挙の争点だからとか、話題になるからとかではなく、若者の声を聞いてほしいと単純に思います。そうであるならば、被選挙権年齢も下げてほしいと強く思います。18歳が考えて選挙に行けと言うならば、18歳が国会に行ったっていいではないですか。

 民進党の「国民とともに進む」というスローガンがうそではなく、本気で言ってほしいと思います。僕らアホじゃないです。この政治家がうそついているか、本当のことを言っているかは、しゃべっているのを聞いていたら分かります。政治家に対して「ありがとう」と言ってみたいです。単純に応援したり「がんばってください」と言ってみたいです。そして、僕たちもがんばります。