地方自治体議員フォーラム研修会の8日の全体講演2では、慶應義塾大学の井手英策教授に「尊厳ある生活保障へ――『頼り合える社会』の構想」をテーマに講演いただいた。

 井手教授は冒頭、「皆さんは今まで民進党の地方自治体議員をしていて良かったと思うことはあまりなかったと思うが、私からは皆さんはとても幸福な人に見えます」とユーモアを交えて参加者の心をつかみ、「これから私たちがどういう方向に向かって進んでいくのかというのは、もうはっきりしている。新しい物語を、今ここから始めよう」と呼びかけたうえで、次のように話した(要旨)。

 まず、実質的可処分所得を見た時、ピークは1997年であり、2014年と比べると世帯収入はこの20年で2割近く低下し、世帯収入300万円以下は全体の34%になった。しかし政府は社会保障について現役世代向けの給付の割合を減らし、自己責任で生きていく制度を作った。それは、自分で働き、自分の稼ぎで貯金をし、その貯金で老後に備えるという自己責任社会。すなわち貯金がなくなった時点で人間らしく生きていくことができない社会を作り出したのだ。

 1997~98年には日本経済の大転換が始まり、今や日本は貯金ができない社会になってきている。雇用の非正規化が進み、可処分所得が減り始め、40代~60代の男性の自殺者が増え、中間層がどんどん貧しくなり将来不安におびえる。「老後は安心ですか」の問いに国民の85%が「老後は不安だ」と答えるとんでもない社会を生み出してきた。

 かつて日本のGDPは先進国で1位であったが、それが今は27位、悪いデータであれば32位、33位と、ぎりぎり先進国入りの状況で、もはや、経済成長をうたうことはもう正気とは思えない。経済をかつてのように成長させ、所得・貯蓄を増やし将来の安心を手にすることができると思っているのは幻想だ。アベノミクスほどのことを行い、オリンピック特需が重なったにも関わらず、リーマン危機以前の設備投資の水準すら回復できていないのが現状だ。経済成長し、所得が増え、貯金が出来て将来安心できる社会を作るという道はもうない。その道がない中で日本人は競り合っている。これではもたない。

 「頼り合える社会」を構築するため必要なのは「高所得者から低所得者まで全員にサービスを給付するモデルだ。すなわち、貧困者の既得権をなくし、定額の現物給付を全員にサービス給付するといった受益の強化だ。教育、福祉、医療、介護、子育てであれ、全てサービスであり、これらを全員に配った時には所得改善率が一番大きいのは最も貧しい層であり、同じ金額のサービスをみんなに配っても格差は是正できる。格差是正には貧しい人を助けることだけではない。受益の強化は結果的に財政再建をし、所得格差の是正もできる。痛みも喜びも分かち合い、なおかつ格差是正も行えるプランだ。

 今日皆さんは、新しい方向性を学んだ。成長ではなく分配。しかもその分配は富裕層からお金を奪って貧困者に分配をするのではなく、皆の生活を保障するための全く新しい形の分配であり、未来の不安はなくなる。たとえ自分がけがや病気や失業をしても自分や家族の将来の心配をせずに安心して生きていける社会が生まれる。成長ではなく分配、今までの手段であった成長を、頼り合える社会に置き換え、全ての人々の生活目線である制度に置き換える。格差是正、経済成長、財政再建については、あらゆる政党の目的だったが、どの政党もどれ一つ実現できていない。しかし私たちは、人間の生活と尊厳を保障し頼り合える社会を作る中で、このすべてを実現する。誰が無駄遣いをしているのか、誰が不正な受給をしているのか、疑心暗鬼になり弱者を袋叩きにするような政治を無効にして、頼り合える社会を作る。

 生まれた時の運で一生が決まる、そんな社会を変えるにはどのような制度を作ればいいのかを考えることが学者や皆さんの仕事である。この社会を傍観するのであるならば、簡単に歴史の加害者になる。未来を変え、未来を作るのは、未来の人間ではない。今を生き政治と関わる皆さんが、知恵を使わなければならない。この瞬間に何ができるかを考え、社会を変えていく強い意志を持って初めて未来は変わる、今ここで変えられないのであれば、皆さんは歴史の加害者になると思っている――。