衆参両院の憲法審査会が1年半ぶりに再開されたことについて、党憲法調査会の枝野幸男会長に話を聞いた。

 多くの人が、「法律の中で特別重要なものが憲法だ」と、勘違いをしていると思います。でも、法律と憲法は180度意味が違うものです。

 法律は、公の権力を預かっている側が、国民の皆さんに命令するものです。立法府の国会、行政府の内閣、そして司法の裁判所は判決という形で、それぞれ国民にいろいろと命令します。ではなぜそういう権力を持っているのかと言うと、主権者である国民の皆さんが、「こういう手続きで、こういう人たちに、こういう権限を預けます」と決めているからです。そのルールが憲法です。ですから当然のこととして、権力を持つ側は、国民から権力を預けていただいている根拠の、憲法というルールにきちんと従って権力を使わなければなりません。これが立憲主義です。

 立憲主義で大事なことは、公の権力が出来ないこと、してはいけないことをきちんと書き込まなければいけないということです。多数を取った権力者が何でもやっていいということでは、憲法で縛っていないのと同じです。特に大事なことは、基本的人権を害してはいけないということです。法律をもってしても、基本的人権を侵してはいけませんよということを書いておくことに、憲法の意味があります。ところが自民党の改正草案では、事実上ほぼ全ての人権を、時の権力者が法律で好きなように制約できると読める条文に変えようとしています。つまり、基本的人権の保障がなくなってしまい、立憲主義に反するものだと考えています。

民進党の考える憲法論議

 私たちは、時代の変化等に合わせて憲法をより良くするために、変えるべきところがあれば積極的に対応し、未来志向の憲法を構想していく努力をすでに進めています。ただし、変えること自体を自己目的化させるような考え方は間違っており、変えることで悪い方向に進んでしまったのでは元も子もありません。

 自民党のように全ての条文を見直して、事実上新しい憲法をつくるというようなことは全く考えていません。今までの憲法を全て白紙にして書き換えるということを、普通は革命と言います。自民党は革命政党のようですが、民進党はそうではありません。今ある憲法に不都合があるのならば、少しずつ直していこうという立場です。

 現実的に考えて、将来にわたって民進党が、衆参両院で単独で3分の2以上を取るということは想定していませんので、われわれが単独で改正案をつくることは、具体的に憲法を変えることとは逆行します。他の党の皆さんと、幅広い合意が出来得ることは何なのかということを模索していきます。単独で3分の2を取るめどもないのに、自分たちはこうだといくら言っても、それは自己満足でしかありません。

慣習法の問題点を条文改正で改める

 憲法に限らずどんなルールでも、慣習がある程度積み重なってルール化すると、成文法と同じ効力を持ちます。これを慣習法と言います。ちなみにイギリスには憲法の条文がありません。イギリス憲法は慣習法で出来上がっています。

 憲法は特に抽象度の高いルールです。条文にあるものばかりが憲法ではありません。例えば私学助成について、憲法違反だと読める条文が憲法にありますが、憲法違反ではないということで半世紀以上積み重なっているので、これは慣習憲法になっていると言えます。

 安保法制もそうです。歴代内閣は、40年以上にわたって、集団的自衛権は一切行使出来ないと言い続けてきました。このことからも、すでに定着し、慣習憲法になっていたと判断できます。それを勝手に変えるということは、立憲主義と慣習法に対する理解が足りないと指摘せざるをえません。

 そしてもう一つ、この国におかしな慣習憲法があります。それは、総理大臣の専権事項として、いつでも衆院を解散できることです。憲法違反であると指摘する憲法学者も多くいます。私もそう思わないではないのですが、すでに70年経過していますので、まさしく慣習憲法になっています。しかし、「その慣習は本当にいいのか」ということは、憲法議論の上で、一番重要な点ではないかと私は思っています。

 現在党内で議論を深める作業をしていますが、憲法の条文には、7条3号に「衆議院を解散すること」としか書いてありません。しかし、その時々の総理大臣の判断で、いつでも自由に衆院の解散がされてきました。私は、それを悪かったと言うつもりはありませんが、憲法条文をきちんと見直し、これを制限する時代ではないかと思っています。なぜかと言うと、立憲主義は王様の時代の話だと安倍総理は時々主張しますが、勝手に衆院を解散することこそ、王権の名残だと思います。

 議会の解散権は王様の権力でした。王様の権力と議会の権力に緊張関係を持たせるために、議会の解散権がありました。しかし、議会の多数派が内閣を構成する議院内閣制では、基本的には議会の多数派と内閣は対立しません。議会が内閣不信任案を通すという、異例の事態が起こった時の解決策としてしか、衆院の解散に合理性はありません。にもかかわらず、慣習憲法として認められてきてしまっているのが現状です。内閣不信任案が可決した時しか衆院は解散できないと条文に書き込んで、慣習憲法を明文で改正すべきと、私は強く思っています。

現在検討しているテーマ

 民進党として、現在検討しているテーマがいくつかあります。一つは統治機構の問題です。日本国憲法には地方自治の記述が少ない、足りないという指摘はある意味で正しいと思います。憲法に新たな条項を書き加えることで、より地域主権を進めることが出来るのではないかと、その検討を精力的に始めています。

 二つ目は違憲立法審査です。憲法裁判所のような機関を設置し、そこで憲法審査を行っている国もありますが、日本の憲法裁判は、一般の裁判所が違憲立法審査権を行使する付随的違憲審査制です。この制度では、国民が憲法違反で被害を受けた、あるいは被害を受けそうだという、具体的な救済要求がなければ裁判所は憲法判断をしません。裁判所は訴えられた被害について審理し、これを救済する必要がある場合に限って、違憲かどうかの判断をします。

 また、裁判所は、一般に司法消極主義という考え方に立っています。できるだけ政治がらみの案件に、裁判所は関わらない方がいいというもので、一概に間違いとは言えません。しかし、付随的違憲審査制と併せて、違憲立法審査をする権限が著しく弱くなってしまっており、これで本当にいいのかと思います。

 ただしこの見直しは、よほど慎重にやらなければなりません。憲法裁判所を作ろうとしても、政治的中立性をどう保つのかなどの難しい問題があります。簡単には答えは出せませんが、大変大事なテーマとして精力的に検討を進めています。

 三つ目は新しい人権です。知る権利や環境権などのことですが、それを法律で権利を保障していくことがこの国ではまだ進んでいません。もっともこの点については、憲法に書く前に、まずはより簡単にできる法律で、国民の新しい人権をしっかりと保障していこうと考えています。法律に書き込むだけでも、憲法の幸福追求権という人権の中に、知る権利や環境権などを読み込むことができます。きちんと法律で保障すれば、憲法がそれを裏付けできる構造にはなっているのです。

憲法改正の前提条件

 現状では、憲法の具体的なあるテーマについて、国会の3分の2以上の人たちが、こう変えるべきだということで一致している項目はありません。3分の2を超えるためには、幅広い合意形成に向けて、相当な努力が必要ですし、何と言っても最後は国民投票が控えています。イギリスのスコットランドの分離独立やEU離脱の国民投票、あるいは大阪都構想の可否の住民投票もそうですが、あらかじめよほど幅広い合意が国民の間で出来ていなければ、結果がどう転ぶか分かりません。70年変わったことのない、やったことのない憲法改正の国民投票で、最初に否決となるようなことになると、悪い意味で憲法改正がタブーとなりかねません。

 さらに、賛成反対の世論が、激しい争いとなって、国民の間に変な分断を起こさないようにすることも重要です。そう考えると、国会では全会一致で憲法改正の発議をするぐらいの努力をしなければいけないですし、国民の間で世論調査をして、7、8割の人が賛成だという状況を作った上でなければ、憲法改正を進められないと思っています。

(民進プレス改題18号 2016年12月16日号より)

民進プレス電子版のお知らせ: